208570 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

あいすまん

あいすまん

投稿掲示板過去ログ2

投稿時間:03/08/15(Fri) 14:22
投稿者名:除籍くん
Eメール:
URL :
タイトル:「血の記憶」

「血の記憶」

手元が狂って 包丁で 指先を切った
赤い 血が 少しだけ流れた

国が狂って 弾丸が 体を突きぬけた
赤い 血が すごく流れた・・・らしいのだが、私にはそれがわからなかった

なぜなら、私は もう影になっている

―――――――――――――――――――――――――――――――

投稿時間:03/08/20(Wed) 19:47
投稿者名:みやじ。
Eメール:mogegegege@mail.goo.ne.jp
URL :
タイトル:わからないことのリアリティー

 投稿ありがとうございます。
 「弾丸」とはありますが、原爆の爆心地付近に残っていたという人影を思い起こさせます。一瞬で命を絶たれたら、その実感なんて本人
にはないでしょう。それより「包丁で 指先を切った」痛みのほうが「私」にはわかる、ということだと思います。
 「私」が「影」になっているから血が流れても「わからない」というのは、「国が狂って」いる時代、すなわち国の構成要素である国民
の「私」も狂っている一人であり、その状況というのは戦前のヒステリックな状況とも読めるし、政治に関して不感症的な現代の国民のさ
まであるとも読めます。しかし、そういった情況を鑑みた読みにつながる手がかりとなる詩句は「国が狂って」以外にないように見受けら
れるので、憶測の域を出ません。
 戦後世代が戦争の詩を書くとき、とかくわかったフリをした詩を書いてしまいがちな気がします。そのなかで「わからない」と書くこと
のリアリティーを感じました。またヨロシクお願いします。

―――――――――――――――――――――――――――――――

投稿時間:03/08/19(Tue) 18:21
投稿者名:MVCH-29019
Eメール:
URL :
タイトル:優越児

児戯に等しい
遊んで群れてる

向こうの砂場は甘いか
こっちの砂場は甘いぞ

駆け出したって
どうせ楽しい公園さ
遊び場だろう
後天的初期衝動を得て
強くブランコを漕ぐ
揺れる幅
広がれば
次第に景色は歪む
3・ 2・ 1!


僕らはあそこから
飛び出したんだ
本当さ
影なら砂場に
置いてきたさ

小さな優越感
笑い場なし
それもまたよし

―――――――――――――――――――――――――――――――

投稿時間:03/08/20(Wed) 20:14
投稿者名:みやじ。
Eメール:mogegegege@mail.goo.ne.jp
URL :
タイトル:共同体と遊び

 投稿ありがとうございます。
 深読みしすぎかもしれませんが、小さな共同体の中に安穏として個性を埋没させがちな人たちに対する批判、と読みました。

> 向こうの砂場は甘いか
> こっちの砂場は甘いぞ

は、「砂場」が「甘い」といった倒錯的な描き方をしている点を鑑みると、どんぐりの背比べ的な、共同体同士の争いを描いているのだと
思いました。

> 強くブランコを漕ぐ
> 揺れる幅
> 広がれば
> 次第に景色は歪む
> 3・ 2・ 1!

の部分は、臨場感がある点でも良いと思いますが、その前に「初期衝動」が「後天的」とあるので、その共同体がひしめく公園からの脱却
の場面だと思います。
 しかしそこから脱したのは「僕ら」とあるように単独でないところや、「小さな優越感」を感じるあたりが、「優越児」たる所以だと思
いました。ブランコでジャンプするような、思い切りの要る行動を起こすことで、共同体に埋没することなく、自己を客観的に見ることが
できる。しかしそれによって優越感を感じるのはまだまだ幼さが残っていること、という冷静な視点が現れていると思います。
 人間は遊ぶことで大きくなっていくのだと思います。しかし同じ場所で同じ遊びをしていたのでは発展はありません。そういうわたしの
考えに摺り寄せて読んでしまったかもしれませんが、示唆深い作品だと思いました。またヨロシクお願いします。

―――――――――――――――――――――――――――――――

投稿時間:03/08/22(Fri) 12:32
投稿者名:カアイ
Eメール:
URL :
タイトル:たからもの

小さい頃に買ってもらったクマ
新しくピカピカで大切にしてた あの頃
大人になるにつれて いつのまにか
消えてしまったクマ
今もあの頃と変わらない
大切な物は いつのまにか消えちゃった
自分だけの物に 自分だけの物に
したかっただけなのに…
ワガママすぎたのかなぁ

―――――――――――――――――――――――――――――――

投稿時間:03/08/22(Fri) 17:37
投稿者名:みやじ。
Eメール:mogegegege@mail.goo.ne.jp
URL :
タイトル:シンプル

投稿ありがとうございます。
一読しての感想を添えさせていただきます。何か参考になることがあれば嬉しいです。

> 大切な物は いつのまにか消えちゃった

日常に忙殺されているうちに、いつの間にかいちばん大切なものを失っていることにふと気づく。そういう瞬間は誰しも身に覚えのあるも
のだと思います。そのことに対して、

> ワガママすぎたのかなぁ

と自責の念を抱く心境というのは、やるせないものだと思います。自分は日々を精一杯生きていただけなのに、いやもしかしたら精一杯生
きていたからこそ、大切なものを失わなければならなかったのかもしれない。誰に当たるでなく、視点が自分に戻ってくるのに誠実な印象
をもちます。視点が自分に戻ってくる理由となっていると思われるのは以下の部分ですが、

> 自分だけの物に 自分だけの物に
> したかっただけなのに…

とあるということは、もしかしたら誰にも触られたくない、見られたくないために隠してあって、日が経つにつれ隠した場所を忘れてしま
った、ということかもしれない、とも思いました。
 ひとつのテーマを見据えていて、シンプルで雑念のない詩だと思いました。またよろしくお願いします。

―――――――――――――――――――――――――――――――

投稿時間:03/08/22(Fri) 12:47
投稿者名:カアイ
Eメール:
URL :
タイトル:証

もし君がしてしまった事で 誰かがキズついてしまったのなら
それは君が一つ幸せに近づいた 証なのかもしれない――
もし君が悩んでる事で 誰かが 手をにぎりしめてくれたのなら
それが本当の 愛なのかもしれない――
君が生きている一つ一つが 誰かのためだとしたら
君の笑顔は大切な宝物――
君が素直になる気持ちが いつか相手に伝わる時
君の涙はステキな思い出――
君のしている事 すべてが 君を幸せにしてくれる
君がしてしまった すべての事が 私に真実を教えてくれる

―――――――――――――――――――――――――――――――

投稿時間:03/08/22(Fri) 18:10
投稿者名:みやじ。
Eメール:mogegegege@mail.goo.ne.jp
URL :
タイトル:傷つけ合えることの大切さ

投稿ありがとうございます。
人間関係を見つめた詩というのは、作者なりの真理が描かれやすく、だからこそ他人の表現と似てしまうという難点もありますが、基本的
にはいちばん正直さが伝わりやすい題材なのでいいと思います。

> もし君が悩んでる事で 誰かが 手をにぎりしめてくれたのなら
> それが本当の 愛なのかもしれない――

「言葉は愛」だといわれます。しかし時には言葉の励ましよりも手を握るという行動のほうが相手の気持ちを強く感じられるということが
あるので、実感のこもったフレーズだと思います。しかしここよりも

> もし君がしてしまった事で 誰かがキズついてしまったのなら
> それは君が一つ幸せに近づいた 証なのかもしれない――

の2行に最も説得力を感じました。他人を傷つけること=幸せに近づくこと、というのは一見矛盾しているようでもありますが、人は傷つ
けあうことを恐れていては他人と本当の意味での人間関係など築けません。「ケンカするほど仲がよい」というように、深い仲になればな
るほど、本音を言い合えるし、衝突できる。しかしぶつかりっ放しではなくて「してしまった」とあるように、自分のしたことを後悔する
のは、相手を傷つけてしまったことに気づけなければできないことです。様々な関係性の中で生きていかねばならないのが人間です。その
なかで他人の痛みを理解することの大事さを言っているのだと思いました。しかし

> 君がしてしまった すべての事が 私に真実を教えてくれる

の1行がひっかかります。前の行と照らし合わせると「してしまった」ことというのは相手を傷つけてしまったこと、つまりここでは「
私」は「君」に傷つけられたことによって「真実」を知ることができる、と言っているわけで、それは「君」の行為に対して肯定的とも否
定的とも読める文脈になっていると思います。しかし傷つけられることそのものが真実なのでなく、傷つけられたことが真実を「教えてく
れる」とあるので、わたしとしては傷つけあうほどわかりあえるという肯定的な意味に読みました。
 現代の多くの人間が逃げてしまいがちな、傷つけあえるだけの深い人間関係の大切さを見つめている点で、良いと思いました。

―――――――――――――――――――――――――――――――

投稿時間:03/08/22(Fri) 13:06
投稿者名:カアイ
Eメール:
URL :
タイトル:罪

くり返されるこの悲しみ
消える事のない深いキズ
私はたくさんの罪をおかしてきた
この世で一番汚れた人は
人の心をキズつけてしまう人
一番いけないはずなのに
一番かんたんで…
一番重い…罪
私はどれくらいの人達に
キズをおわせてしまったのだろう?
そしてどのくらい苦しめばいいのだろう?

他人の幸せが自分の幸せというのなら
それはきっと…
自分自身へのつぐないなのかもしれない
私のしてきた事
許されない事もたくさんあるかもしれない
苦しいのかもしれない
辛いのかもしれない
だけど…私は
生きている――

―――――――――――――――――――――――――――――――

投稿時間:03/08/22(Fri) 18:31
投稿者名:みやじ。
Eメール:mogegegege@mail.goo.ne.jp
URL :
タイトル:諦めの境地

これも人間関係を真摯に見つめた作品です。しかし「証」から一転して、いたずらに傷つけてしまうことを責めたものだと思います。

> 一番いけないはずなのに
> 一番かんたんで…
> 一番重い…罪

傷つけるといっても、本音を言い合って結果的に傷つけあってしまうのではなく、ただ配慮のないだけの傷つけ方は人を苦しめるだけとい
う点は、確かに誰もが自覚すべき重要なことだと思います。

> 私はどれくらいの人達に
> キズをおわせてしまったのだろう?
> そしてどのくらい苦しめばいいのだろう?

と、その矛先を自らに向け、自分が「苦しむ」と言えるのは、傷つけられる痛みを知っているからだと思います。「自分自身へのつぐな
い」という言葉も実感がこもったものだと思います。傷つけた相手でなく、人を傷つけてしまった自分に対してつぐなうという表現から
は、人間はどう生きるべきかという問いに正面から向き合っている自己の姿が垣間見えます。潔癖とも思えるほどの真っ直ぐさです。

> 苦しいのかもしれない
> 辛いのかもしれない
> だけど…私は
> 生きている――

には、生きることへの諦めのような心境が表れているように思います。後悔や自責の念を歌った詩では、ふつう「苦しい」や「辛い」とい
う言葉を安易に使いがちになってしまうと思いますが、そういった感覚的な言葉にまで「かもしれない」がついて現実感が失われていく感
じが、「生きている――」を諦めと読ませる根拠として機能していると思います。わたしは人間は諦めの境地に達して初めて生き始めるこ
とができるのだと思っています。その意味では「たからもの」「証」との3作中、この「罪」に最も感銘を受けました。


© Rakuten Group, Inc.